小学生

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中標津小学校は5年生くらいの時に鉄筋コンクリートの新校舎になった

勉強の出来ない私は算数や国語の授業を聞いていても理解

なんかしていませんでした。それでも図工だけは得意でした。

 

絵を描くのは苦ではなく、写生や鉄人28号のマンガを真似して描いたものでした。

 

 

親戚の家へ遊びに行ったときに、そこのお婆ちゃんに「大きくなったら何になる」と聞かれて、

迷わず「博士になる」と言ったら、「そうかバカセになるのか」とからかわれました。

 

              

 

当時、鉄腕アトムのマンガもあって、マンガの中に登場する博士に私は憧れたのです。

本気で博士になりたかったら、真剣に勉強しなければなれないし、

いくら努力しても持って生まれた素質が左右する。

 

【公式】鉄腕アトム(1963) 第1話『アトム誕生』

 

プロの野球選手やサッカー選手を目指してもスター選手になれるのは限られた人だけです。

持って生まれた身体能力だと思う。

 

                

 

それなりに努力して目標とするものに至らなくても、それまでの苦労は決して無駄にはならない。

それまでの間に多くの人たちと触れ合い、いいことも悪いことも知り、ある日、

自分の目指すものに目覚めるかもしれない。

 

 

日曜日、父は畑で草取り、時々釣りに行くときは私も一緒に行っていました。

また、川に遡上する鮭の密漁も手伝いました。

                               

                                         

 

月光仮面を真似て、風呂敷で仮面をして、マントも風呂敷、

サングラスをかけ、子供たちで配役を決めて遊んでいた。

考えてみれば滑稽な格好して遊んでいたなと思う。

 

月の光仮面 1959年 強敵コング

 

当時の夏の夜にはホタルがいっぱい飛び交っていて、それらを何十匹も捕まえ、家の寝る部屋の中で放し、

ホタルの光で包まれた幻想的な世界を見ていました。

 

 

鼻水をたらし坊主頭の私でも初恋といえるものがありました。当然片思いです。

 

                                                     

                                                                 

 

通学路の近くに新しい家ができて、転校生だったかも知れない、同じクラスのM子ちゃんに密かに恋心をいだいていました。

M子は特別可愛いくもなく普通のおとなしい子で、同じクラスにはM子以上に、私にとって雲の上のような存在のマドンナがいて、

その子には恐れ多くも恋心をいだくことはなかった。

M子は同じ通学路でよく見かけるし、同じクラスだったので気にかけてはいても、面と向かって話したことすらなかったと思う。

 

 

         

 

【2ch馴れ初め】長すぎた片思い…初恋の女の子を15年間想い続けた結果

 

今思えば、その頃の私はなんて純粋で穢れのない少年だったのだろう。

今はすっかりスケベの爺さんになってしまいました。女性だって同じでしょう。

 

人間は崇高な理念や哲学をもって生きていますが、人間は動物の一種で、人間だけが特別な存在ではない。

 

人間は動物で、あるときは忠実な犬になり、あるときは牙をむきだした狼になり、

平和な時代と戦争の時代との繰り返しは歴史が物語っている。

 

                                                                          

 

冬の遊びといえばスキーだけが唯一の遊びで、カンダハーといった金具で長靴を

固定するものでした。

 

スキーをする時の服装も大変お粗末なものでしたが、友達と遊び、雪だるま状態に

なって家に帰り、家のストーブの近くで濡れた長靴、靴下、手袋、帽子、服など乾かしていました。

 

たまに町営のスキー場まで行き、サングラスをかけ上手に滑る知らないお兄さんの

姿を見て、子供ながら呆気にとられて見ていました。

俺もあのくらいかっこよく滑れたらいいなと思いました。

 

 

 

鉄人28号 第19話 バッカス撃退

 

 

 

                       

 

崇高さとは、一番分かりやすい例は、原始キリスト教です。簡単に言うと、自分の命よりも大切なものは何か、ということです。命が一番なら、動物となります。命よりも大切なものが肉体よりも大切なものがあるから人間なのだ、ということを思い出して欲しいです。

 

 アランという僕の好きなフランスの哲学者が人間の魂というものを定義して、「魂とは、肉体を拒絶する何ものかである」と言っています。それが魂なのです。僕はこの定義が好きで、これこそが人間だと言っています。魂を持っているのが人間だということは、魂が人間の本体です。肉体を拒絶する何ものか、とはどういう意味かということです。

 

 一番簡単な例は、人間というのは動物の体をもっているから、自己生存本能を持っていて、危険なことは誰でも怖い。戦争に行って、弾が飛んできたら、怖いのです。でも、アランが言っている魂とは、その肉体よりも大切なもの、肉体を捨ててもやらなくてはならないことを魂と言っています。

 

 だから愛国心で戦争に行くというのはそのような意味です。戦争に行って勇敢な行為ができるということは、やはり国を思う気持ちが、自分の命よりも大切だ、ということです。これが肉体を拒絶する何ものかです。だから国家のために死ねるということや、そのようなことが魂である、ということをアランは定義しています。もちろん国家以外のものでもいいのです。これは哲学者の定義では史上最高の定義でしょう。現代では、その魂が失われているので、理屈を言って救われる時代はもう過ぎています。

                  

 

滝野すずらん公園でスキー初滑り【成長記録】

 

懐かしい昔スキー発見!自衛隊

 

 

藻岩山から見る冬の景色

 

恐るべし山岳スキー

 

【Vlog】ANA CAがご紹介!冬こそ楽しい中標津旅 【絶景・アクティビティ・グルメ】

 

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