地元の高校にはなんとか入学できたが、勉強の方はあいかわらず
できないし、努力もしなかった。
高校に入学したとき、新入生のために歓迎会があって、その時に生まれて初めて、
マンドリン合奏の演奏を目の前で聴いて大変感動しました。
同級生たちはそれぞれ、思い思いのクラブに入り、私は躊躇なく音楽部に入り
マンドリン合奏をやり始めました。
私はギターがやりたかったのでそうしましたが、根本的に私には音楽の
センスとか才能がなかったけれど、下手でも好きなものは好きだし、
30歳くらいまでやっていました。
札幌マンドリン倶楽部第47回定期演奏会 第2部
カラオケだって同じで、歌手みたいに上手に歌えなくても
カラオケに長く通っている人もいると思う。
一人カラオケは寂しいものですが、数人でやっていれは゛
楽しいひと時を過ごすのでしょう。
さて、高校時代を振り返れば、音楽部があったからなんとか
3年間学校生活ができたと思う。
勉強はできなくても、部活を通して同級生、先輩たちとの交流があり、
少しは楽しい高校時代がありました。
高校1年の学校祭のときはプロの軽音楽楽団が来て、演奏してましたが
どうやって、そんな連中を呼んでこれたのか不思議でした。
とにかく生のトランペットの音に痺れました。
高校3年の学校祭のときに確か京都大学のオーケストラが来て、「ハンガリー舞曲第5番」を
演奏していたと記憶してます。生の演奏と大音量に圧倒されました。
ブラームス ハンガリー舞曲 第5番 |舞曲・ダンス | フルオーケストラ演奏[吉田裕史指揮]ジェノヴァ歌劇場管弦楽団
高1の時、部活の友人と二人で顧問をしている音楽の先生のアパートへ遊びに行きました。
先生は独身女性で、私も女性が一人暮らしをしている部屋に入るのは初めての事でした。
友人とレコードを選んで音楽を聴き、先生は鼻歌をしながら洗濯をしていたことを
思い出します。
体力づくりということで、私と友人の二人で早朝マラソンをすることになり、
早朝5時くらいかな、家を出て友人宅に行くと
彼はよく寝坊をするので、その時は二階にある彼の部屋の窓ガラスに小石をぶつけて起こします。
ある時小石が彼の部屋の横にある、姉ちゃんの窓ガラスにあたり、
カーテン越しに姉ちゃんが不機嫌な顔をしていた。
マラソンも1か月も続かないで終わった。
入学して最初の頃だけだったと思う、
昼休みにフォークダンスがあり、初めはその輪の中に入れなかったけれど
そのうち見よう見真似でやって、音楽に合わせて踊るのはなんて楽しいのだろうと感じました。
2016 五日市高校 第43回体育祭 フォークダンス
音楽室にはピアノは勿論、ステレオがあつて、レコードは少なかった。
その時に聴いた曲で「マドンナの宝石」、「真珠とりのタンゴ」は良かったな
ギターを弾くようになってからは一度も聴いたこともない曲を、譜面から読み取り弾いて、どれもいい曲だなと感じました。
「ブーベの恋人」
「太陽がいっぱい」
「鉄道員」
「禁じられた遊び」
「シューベルトのセレナーデ」
「アルハンブラの思い出」
高校では譜面からいろんな曲を弾き、どれもいい曲だなと
感じるだけで、社会人になってからテレビやインターネットで
映画など見て、美しい旋律と映像を知ることになりました。
高1の夏休みに中学校では同じクラスで、高校は違うM子ちゃんが家に遊びに来てくれた時、M子の友達と文通をしてみないかと言われて、
文通を始めましたが、2,3回やり取りして自然消滅です。
夏休みの時に教頭先生の息子が確か同志社大学でギターをやっていたので、帰省して家にいる息子さんの所へ何度か通ってギター演奏の教授をしていただきました。